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「正義」なんて視点でしかないって分かってる?

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「嫌いなものは?」と聞かれたら、迷わず「“偽善”です」と答えるようにしています(本当は空気を読んでから判断します)。煽り気味のタイトルで失礼します。

 

突然ですが、絶対的な正義なんて存在しません。アメリカがテロに遭い、正義を掲げてイラクに戦争を仕掛けたのはもう10年以上も前のことですが、あれはアメリカから視た正義です。そして、戦争をふっかけられる覚悟でテロを仕掛けたのは、イラク側の正義なわけです。「俺らってワルだよな」というヤンキー高校生みたいな発想でやっているわけではありません。

 

最近ではISISが世界各地でテロを起こしていますが、もちろん、それも彼らの正義だからやっているわけです。もし「絶対的な正義」なるものが存在しているのならば、ISISに共鳴する人たちは現れませんし、そもそもテロも戦争も起こっていません。

 

彼らは各々で“正しい”と思うことをやり、それが別サイドでは“悪”であり得るわけで、それぞれの視点で何が正しくて何が間違っているのかが異なるわけです。以前に「好き嫌い」と「良し悪し」は別物だという話をしましたが、それと同じで、正義も悪も相対値でしかないのです。「好き嫌い」のように絶対値では測れません。

 

じゃあどうやって世界各国は「環境破壊を食い止めよう」とか「世界平和を目指そう」なんて指標を出しているのかというと、ポリティカル・コレクトネスを中心に考えています。これは差別を是正するための中立的な言語表現のことですが、この「中立的」というのが大事で、この考え方をもとに「環境資源は皆んなのものだから皆んなで守っていこう」だとか、「人の命は平等であって、“各々の正義”で失われていいものではない、戦争を根絶しよう」と発想するわけです。

 

これまで先陣を切って正義を体現してきたアメリカなのに、今度の大統領は「オルタナ・ファクト」なんて言い出しました。これは言うなればポリコレの否定であり、それぞれに正義があるよね、皆んなそれを大事にしようよという考え方です。アメリカファーストを掲げるトランプ大統領としては、そんな指標に縛られてたらオレら損してばっかりじゃん!もう止めるわ!と言いたいわけですね。しかしそれはISISの価値観を認めることにもなり、そのうえで彼らと徹底抗戦しようなんて矛盾しています。トランプ大統領としては、自分たちの正義が「絶対」なのかもしれません。

 

これがまかり通るのなら、誰もが自由に振る舞うようになるでしょう。そうやってアメリカが言い訳をし出したことで、今まではワガママに振舞っていた中国がリーダーを気取ってCO2削減や一帯一路なんてやり始めたから面白いですね。ともあれ、世界の共通ルールとしてのポリコレが廃れてしまったわけではないようで安心です。

 

脱線しましたが、最近の日本人のイデオロギー闘争は目に余りますよね。ただ人種差別であり、陰謀論で相手の品位を貶めたり、人格攻撃をしてみたりと、まともな教育を受けられない国の出来事を見ているようです。アメリカ大統領がオルタナ・ファクトと言いながら自分の正義を絶対視しているように、日本人も多様性を認めるのは大事なことだと思いながら「絶対に相手が間違っている、自分たちが正しい」と思い込んでいるようです。

 

この「絶対」がある限り、議論は建設的なものにはなりません。ただ相手を否定して傷つけたいだけであればそれでいいでしょうが、右の人も左の人も、そんなことのために正義を主張したいわけではないでしょう。あくまで多様な考え方があるという前提があり、より良い方向を目指していけるように話し合うのが議論というものです。いい加減、感情論の掛け合いは醜いのでやめたほうがいいと思いますよ。

 

今日はこの辺で。