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「普通の人」と「変わった人」は何が違うのか

とうとう更新が一週間以上空いてしまいました。最初の目標は1日1本、それが週に2〜3本になり、今では「できるだけ更新しよう」という感じです。目標は高く持ちましょう。

 

先ほど、「普通の人なんていない」なんてことをおっしゃってる方がいたので、それについて考えてみましょう。

 

いきなり言いますが、所詮は皆んなただの人間です。でもこれはあくまでマクロ視点であって、議論中にこれを言うと論点ずらしだと指摘されることでしょう。ただの人間なわけですから、一人ひとりにできることなんて限られているわけです。

 

しかし、実際にはスゴイ人もいればどうしようもないクズみたいな人もいるわけで、人間は均質ではありません。「あの人はデキる人だよね」とか、「アイツなんのために生きてるんだろ」という差異は、ミクロで見ていけば当然のように出てくるわけです。

 

じゃあなぜ日常生活で、「あの子は変わってる」なんて認識の違いが出るのでしょう。言ってしまえば皆んな変わってるし、皆んな普通の人のはずなのにです。

 

それは、多くの人が普段は「普通の人」のように振舞っているからです。そして、「普通の人」として振る舞いきれない人が、「変わってる人」という評価を下されることになります。

 

「変わってる人」なんて思われたら生きづらいというか、まっすぐ生きていけないんじゃないかという不安は多くの人が抱えていることでしょう。そう思われることが、嫌われるのと同義だと感じている人もいるかもしれません。

 

しかし実際には、普通の人として振る舞う必要がないぶん、「変わってる人」は自適に生きています。その外界に対する適応が面倒で、自分の「変わってる部分」を維持したまま生きているという人も多いはずです。

 

何か生きづらさを感じることがあれば、思い切って「変わってる人」になってしまうというのはいかがでしょうか。ちなみに私本人は、よくクセがあるなんて言われますが、生きづらいと思ったことはありません。無理に均質化せず、悠々と生きております。

 

短いですが、今日はこの辺にしておきます。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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