僕たちは「◯◯系」で目の前の人を理解することはできないかもしれない
ビューが伸びないので、昨日のエントリーをラノべ風タイトルにして再投稿です。すでに読まれた方はすみません。
ちょっと前に、こんなのが話題になりました。
このエントリーを読んだうえで言うんですが、「世の中全て分かっている系」というのは、自分の価値観を押し付けてくる人だという理解でいいと思います。
自分の生きてきた業界の知見で他の分野を語ろうという試み自体は面白いものがあります。為末大氏のブログなんかを読むと、たいへん示唆に富んでいて、いつも「なるほど」と納得せざるを得ません。彼はいつも、陸上選手として生きてきた経験を別のジャンルと照らし合わせて、私が知らない角度からの見方を教えてくれます。
冒頭のエントリーにある“相手のことなど関係なく、自分の得意分野と、生きてきた時代をもとに全てを語ろうとする”は、「世の中全て分かっている系 」の特徴のひとつとして挙げられていますが、もう少し補足が必要でしょう。
為末氏のように、新しい視点を教えてくれるのは良いんです。「世の中〜」が厄介なのは、自分の経験則から得た知見を他ジャンルに押し付けているという点だということです。いやむしろ、自分の経験則が世の中の全てだと言わんばかりの物言いをしてきます。自身の経験を“もとに”なんて易しいものではなく、自身の経験が“全て”なんですよ。だから聞く耳をもたない。たしかに、そういう考え方をする人はいますよね。
というのは実はどうでもよくて、ここからが本題です。「意識高い系」だの「オレすごい系」だの「草食系」だのとジャンルを作ることに問題はありません。商品を売り込むにはターゲットを絞らなきゃいけませんから、マーケターは人々を観察して枠線を引き、その枠線内に収まる人に名前を付けてコンテンツを開発します。
マーケティングされる側としては、まんまと乗せられて搾取されるもよし、枠線から遠ざかるもよし、あえてそのキャラになりきってみるもよし、です。
ここで重要なのは、カテゴライズがマーケティングのために行われるという点です。こうした新しい枠組みを作る目的は、コンテンツを売り込む(開発する)ためのターゲットを絞り込むことなのです。決して、身の回りの人をその枠内に押し込むためではありません。
混同している人は意外と多いですが、身近な人を分類しようとすると苦労すると思います。人間はそれぞれに多様ですから、〇〇な顔もあれば、△△な側面も持っています。ですから、ひとつの枠に簡単に納めることができません。対象が身近な人であればあるほど。
これって、社会心理学と臨床心理学の違いに似ていますね。社会心理学は、集団からヒトという生き物の心理的な傾向を読み解くためのものです。「会話中に鼻を触るのは、何か隠したいことがあるからだ」みたいな。臨床心理学は、個人(個体)の内面を理解するための心理学です。「この人の今の心理状態は、幼少期の体験がもとになっている可能性が高い」みたいな。
考え方というか、その人が持っているロジックやセオリーを理解するのにカテゴライズは有効なのですが、その人を個人として理解しようとしたときに、カテゴライズというアプローチは決して有効とは言えないのではないか。本日はそんなエントリーでした。
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ジュース感覚ですが、意外とイケます。レビューするほどじゃないのでオマケw