私の電話遍歴
電話嫌い歴15年の谷です。この年月の長さに免じて、電話越しに伝わるぶっきらぼうをどうか許していただきたい。喜べるのは、好きな人からか(いつでもOK。最優先事項です)、親しき人からの久しぶりの電話くらいなものです(あくまで「久しぶり」。頻度が高いと嬉しくない)。それ以外はもうなんなんだよと思って出ています。ウソです。そもそも出ません。いちおう言っておくと、着信するだけで記事を読んでいたら急に画面が暗くなり、さらに聴いていた音楽が止まったりしてすでにウザさMAXですから。そのまま拒否登録してやろうかという衝動に駆られます。
「緊急の要件は電話で」などというもっともらしい意見も、電話を取らない私には通用しません。そのせいで「え、着信?なんの用だろう」と要件が分からず、後からテキストで「何かありましたか?」と確認するハメになります。最初からメールしてくれたほうが効率的です。少なくとも私に対しては。
そんなベテラン電話嫌いの私も、幼き頃は大人のマネをして積極的に電話に出ていた記憶があります。懐かしきイエデンの話です。何年も使った覚えがありません。そして年齢が二桁に達する頃には、すっかり電話を取らなくなります。
なぜかって、親がケータイを持ちはじめ、イエデンにかかってくる知らない番号は、ほぼ勧誘や販売営業であると確定したからです。はじめのうちは「もしかしたら」と思って出ていたのですが、だんだんと自分に関係のない電話に出るのが嫌になり、知り合いかもしれないという可能性を捨て、ついに番号の確認すらしなくなります。
それからは、小学校高学年で親のケータイをしばらく持たされる経験をしまして(親からの緊急連絡用)、すぐ後に中学でマイケータイを与えられます。ケータイショップにて、普通のがいいと言っているのに、親に無理やり簡単ケータイを選ばされた屈辱は忘れられません(有害サイトのフィルターが決め手だったのでしょう。年頃なのにいい迷惑です)。
こうして個別に電話を持たされると、いよいよ知らない番号からかかってくることはなくなります。もしかかってきたとしたら、間違い電話か迷惑電話、電番が変わった知り合いとか、そのへんです。つまり、もう着信を無視しても問題なかったわけです。
電話番号を登録している友人とも電話はしません。そもそもeメールでやり取りできるし(番号だけ交換する、ということはまずありませんでした)、非同期型の通信に慣れてしまえば、そもそも電話しようなどとは思わないです。幼少時からから趣味に勤しんでいた私は、中学には最盛を迎えており、モンハンやトレーディングカードゲームをはじめ、ギターの練習に明け暮れていました。当然、同期型通信たる電話などしている暇はありません。「着信あり?後でメールしとくか」。
大学生の時には念願のスマホ使いに転身。TwitterやらFacebookやら物理演算ゲームなどを遊びつくします。電話はほとんどしてません。契約や確認の際に電話が必要だと、「電話しなきゃいけないの?じゃあいいや」というスタンスを徹底しており、「電話が苦手だと社会に出てから困る」などと親にしつこく言われます。
いや、苦手じゃなくて嫌いなんだと説明しても、そんなのどっちも同じだと言われ、話の通じなさにイライラしはじめます。スマホって通話に向いてないよな…もう電話って時代遅れじゃね?などと思いながらも、社会人の慣習を知りませんから、これから先に本当に困るのかどうか分からず悶々としていました。そしてやはり、この頃から「電話ウザい」という論調がネット界に出回ります。スマホ持ちが増えてきた結果ですかね。
その論調に激しく同意しつつも、それは割と情報に強い人たちというか、イノベーター理論で言うところのイノベーターたちにしか通用しない話でした。それでも、自信を持って「電話ウザい」と言えるようになりましたから、大きな進歩です。電話ってウザいですよね。
それからだいたい五年くらいが経過したでしょうか。NHKニュースでも取り上げられるくらいには、電話嫌いに対する理解は深まってきたようです。
電話が同期型通信である故に、こんな論理も展開されます。
電話がなぜ失礼になりえるか?電話とは個人間における時間の為替レートが等価だということを前提にしたコミュニケーション手段だからだ。年収400万の人と年収3000万円の人の1秒は、等価ではない!メールやLINEなら、相手が1時間かけた投稿に3秒で答えても、内容が適切ならばそれでOK。
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2016年11月5日
ホリエモンは著書でこんなことを言っています。
“全時代の感覚にとらわれている人は、コミュニケーションというのはお互い同時間に行う同期通信でなければ意図が伝わらないと盲信している。
そういう人が僕の電話を平気で鳴らし、人の仕事のジャマをするのだ。
(中略)悪気なく電話を鳴らしてくる時点で、僕はそんな人とは一緒に仕事をしたくない。電話でしかやりとりできないような人は、僕の時間を無駄に奪う害悪だ。”
『多動力』より
良い感じにまとまったエントリーも見つけたので、ついでに貼っておきます。
もうすっかり嫌われ者ですね。この価値観も、NHKで取り上げられた時点でアーリーアダプターには達したんじゃないでしょうか。達していてほしい(願望)。
まあ、いまだに電話は必要なんだと言っている人たちもいるわけですが、それってしなくてもどうとでもなるよね?という理由しか散見されず、電話はますます使われなくなっていく予感がします。嬉しい限りです。
せっかくなので、最後に私が電話を嫌いな理由をまとめておきましょう。
・声だけのコミュニケーションが面倒。内容が分かりづらい時にはかなり神経を使う。文面ならすぐ分かるのに
・かけられた側が相手の時間に合わせなければいけないという迷惑。一回のメールのやり取りで済む内容だったりすると、着信のせいで作業を中断させられた側としてはかなり後味が悪い
・メールと違って記録が残らないから伝達手段として力不足。通話しながらメモとかマジに面倒
・一回の通話で解決できなかった時のやり取りの多さが非効率。最初からメールで情報量の多いやり取りをしておけばいいのに
・耳に当てると画面が汚れてウザい。ガラケーを使ってる時もそうだったし、スマホが主流の今ならなおさら。大抵は急にかかってくるから、ハンズフリーで電話を取れることもほとんどない
以上、懸命の電話嫌いアピール、ではなく、私の電話遍歴でした。これからは、誰かに電話する時に私のような人が増えてきていることを考慮していただければと思います。